院長のぐぶやき「しくれのんどりーむ」

カルチョ

2015年7月 5日 |

  塩野七生(しおのななみ)のエッセーより・・・

  英語でサッカー、イタリア語ではカルチョ。イタリア人はなぜカルチョをあれほども好むのだろう。

  第1・・・非常に少ない点を争う競技であること。第2・・・試合の繰り広げられる空間が広大であること、しかも、緑の芝生。第3・・・足だけしか使ってはいけない球技であること。第4・・・選手たちの役割も守備範囲も、厳密に定められていないこと。第5・・・チームの監督の権限の少なさ、つまり、監督の管理のおよぶ範囲が、野球などに比べると断然狭い。要するにサッカー競技というのは、トップの管理のおよぶこと実に少ない競技といえないだろうか。第6・・・観ている側の感情移入が容易であること。なかなか点が入らないところが、感情移入を可能にし、それを深く強くするのではないか。

  確かにそうだろう。イタリア人は厳密に自分の守備範囲、役割を決められることを嫌う。「ミラノに現地法人を設立した、日本の銀行の責任者が言っていた。イタリア人の行員は、コンピューターとかワープロ、タイプライターその他の器具を、それぞれ一人ずつ割り当てられるのを嫌うというのである。それら全部に囲まれて、必要に応じてその一つ一つを使いこなす方が、彼らは好きだというのだ。持ち場や役割を厳密に定められてしまうと、日本人ならば安心するところだが、イタリア人はつまらなくなってしまうらしい」(塩野七生)。「野球とベースボールは違うというアメリカ人の意見を、私でももっともだと思う。野球は監督に管理される割合が大きく、ベースボールは少ないという意味で。そのベースボールよりも非管理的であるのが、サッカーだと思う。それゆえにイタリア人は、カルチョが好きなのではないか」(塩野七生)。

  ふむふむ、確かにそうだろう。そこで日本のサッカーを考える。特に女子サッカー・なでしこジャパン。日本には日本流のサッカーがある。すなわち「個人プレーより、監督の権限・管理が強いチームプレー」これが日本の個性であり強さである。セットプレー、早いパス回し、絆(信頼関係)を大切にする精神力、控え選手・スタッフ(さらには日本国民も)を含めた全員で共に戦うという心意気、総力戦で発揮する無限のパワー。

  日本には日本流のサッカーがある。FIFA女子サッカーW杯カナダ大会、決勝戦・日本時間 7月6日(月) 8:00試合開始。燃えよ、ニッポン。頑張れ、なでしこジャパン。 

Cyclennon  Point : 8(1)    150704     DAY   455    Heart  &  Romanticism   by  CyclennonDream  

塩野七生を読もう   『想いの軌跡(1975-2012)』      ~p.74     

 

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