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院長のぐぶやき「しくれのんどりーむ」

『ロマンとしての競馬について』(原稿) 

2013年12月 3日 |

≪某誌への寄稿文を依頼されました。タイトル、内容は自由です。いいんですね? 何を書いてもいいんですね? ね? ね? いいんですね?≫          

 ロマンとしての競馬について

                                                                               シクレノン愛馬会主宰   植坂俊郎

 

 みなさん、競走馬(サラブレッド)を真近で見たことはありますか? 生きた芸術品、サラブレッド、とても美しい生き物です。

 私は、こだわりをもって生きたい人間です。「競馬はロマンです」サラブレッドの血の世界は素晴らしい。「えっ」って言わないでください。競馬は、単なるギャンブルではありません。Blood Sport なんです。

 Thoroughbredとは、徹底的に(THOROUGH)品種改良されたもの(BRED)。すなわち、サラブレッドとは、徹底的に品種改良された馬という意味です。17世紀頃、イギリス貴族が中東から馬を輸入し、現地の馬と掛け合わせたのが始まりです。

 バイアリーターク、ダーレーアラビアン、ゴドルフィンアラビアン、この3頭を、サラブレッドの三大始祖と呼びます。サラブレッドの父系を辿ると、すべてこの3頭にいきあたります。三大始祖の数代後に、エクリプス、ヘロド、マッチェムが出て、現在のサラブレッド種牡馬の先祖はここから始まっています。名種牡馬サンデーサイレンスは、エクリプスの子孫です。エクリプスは1764年生まれで、18戦無敗の伝説的名馬です。

  かつて「大阪に競馬ロマンチストと名乗る風変わりな精神科医がいる」と言われたものです。これ昭和の終わりから平成の始めにかけての古き佳き時代、自由に好きなことをやって過ごしていた時代の話です。昭和54年 6月、シクレノン愛馬会( Cyclennon Horse Club )なる競馬サークルをつくって活動を始めました。活動と言っても、競走馬の血統を調べたり、みんなで誘い合わせて競馬場に行って楽しむ程度ですが、それがとても楽しいんです。京都競馬場からの帰り、梅田に出て居酒屋「やぐら茶屋」で競馬談義。資金が増えた人も、資金が減った人も、わいわいがやがや。これがとても楽しいんです。平日はスポーツ紙の競馬欄を読みます、まずはサンケイスポーツから。喫茶店に入ると他紙(日刊スポーツ、スポニチなど)をむさぼるように読みます。こういう時の集中力はさすがですよ、同僚が呆れるくらい我を忘れて熟読します。

  競走馬が好きで、競馬が好きなんだから、全国の競馬場めぐりをしよう。作家・山口瞳氏が週刊誌の企画で全国の地方競馬場を巡って書いた紀行文をまとめた『草競馬流浪記』という本は、当時の私にとってはバイブルでした。その本を読んで「次は九州の中津競馬場に行こう」「北海道もいいなあ、北見競馬場だ」などと胸をわくわくさせたものです。昭和56年 4月京都競馬場(春の天皇賞・カツラノハイセイコ優勝)から始まって約10年かけて全国37競馬場(中央競馬10場、地方競馬31場、重複 4)を全て訪れました。よく回ったものです、とにかくあの頃は燃えていました。平成 2年10月盛岡競馬場を訪れて全国競馬場完全踏破を達成しました。達成した日、その日は東京競馬場で秋の天皇賞が開催されヤエノムテキが優勝しました。昭和63年 3月28日廃止になった紀三井寺競馬を含めて全国37競馬場を単独踏破。達成した時点で、全国に競馬場は36ありました。紀三井寺競馬場の跡地は、その後、和歌山県立医科大学、同付属病院になりました。

  明けても暮れても、競馬、KEIBA、ケイバ・・・。血統を背景とした血のドラマに魅せられて、思い入れをした馬に熱い視線を向け、一眼レフカメラで写真を撮って、それを眺めて楽しみました。私の趣味は写真ですが、それはキャノンEOSで競走馬を撮ることでした。カメラはその後、デジタルとなり、キャノンデジタルからソニーデジタル、そして、現在はニコンデジタル(NIKON-D300)を愛用しています。このまま、一生、競走馬撮影だけで(ちょっぴり京都の寺院を巡って庭園を撮影)終わるだろうと思っていましたら、大きな転機が・・・(50歳代になって赤ん坊ができたんです、照れ臭いので大きな声で言えませんが?)。それまで年賀状といえば競馬場パドックで撮影した競走馬の写真が定番だった男が、なんと平成24年年賀状から競走馬の写真をやめて可愛い息子の写真に変えたではありませんか。同僚たちが笑います「年賀状に馬の写真は入れなくなったの?」。私「はい、年賀状に競走馬の写真を入れるのやめました、シクレノントレジャー号(2歳5ヵ月の息子の競走馬名です)に変えました」。人生いろいろと楽しいことがあります。年賀状から競走馬の写真は消えましたがKEIBAは大好きです。「競馬はロマンです」。

  私が最初に好きになった競走馬はハギノカムイオー(父・テスコボーイ、母・イットー、昭和54年4月1日生、牡、北海道浦河町荻伏牧場生産)。昭和54年北海道静内町で開催された当歳セリ市で、超良血が評価され当時の史上最高価格 1億8,500万円で落札され話題となった黄金の馬です。昭和57年 1月31日、デビューの日、私は京都競馬場のパドックに横断幕を張って応援しました。「ハギノカムイオー ロマンな君の代名詞」。

  昭和54年 6月、シクレノン愛馬会を主宰してから好きになった優駿・・・・ハギノカムイオー、シルクスキー、ラフオンテース、ノトダイバー、モンテプリンス、ミスターシービー、ミホシンザン、メジロラモーヌ、タマモクロス、スーパークリーク、ミスターシクレノン、オグリキャップ、ウイナーズサークル、ライスシャワー、テイエムオペラオー、スペシャルウィーク、スティルインラブ、ディープインパクト、ウォッカ、アパパネ、オルフェーブル、キズナ・・・・・。

 シクレノン愛馬会の合言葉「春の天皇賞と秋の菊花賞は京都競馬場に集まれ」。 

                                                                 2013.12. 3.(火)            By    CyclennonDream      

 

Cyclennon  Point : 4(1)      131203        DAY   79        Heart  &  Romanticism   By   CyclennonDream                                                                   

                                                                                                                     

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