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院長のぐぶやき「しくれのんどりーむ」

祝100号「院長のつぶやき」・・・・金子みすゝ" は浮世絵だ  

2013年11月 1日 |

大正時代から昭和初期にかけて西條八十に絶賛された女流詩人がいました。

不遇の才媛・金子みすゝ"(本名テル)。幸薄く逆境のなかの夭折と形容される金子みすゝ" 。

金子みすゝ" は、貧しく慎ましい日常のなかに、ちらと仄見えた「もの書くこと」の栄光に、自身の命を託し、それを童謡という手段で表現しました。

雑誌の投稿欄で注目され、その清新な作風によって、日本のクリスティナ・ロゼッティと称され、詩人を夢見る若者たちの憧れの星となりました。

夭折の童謡詩人・金子みすゝ" は、1903年、山口県大津郡仙崎で生まれました。書籍文房具屋の娘として育ち、瀬戸崎尋常小学校、大津郡立大津高等女学校で学びました。故郷仙崎と下関以外、ほとんど外の世界を知らない金子みすゝ" は、無限の広がりを見せる独特の詩の世界を築きました。

彼女は、短い生涯の中で512編の詩を残しました。そのほとんどが生命の尊厳と慈しみを綴ったものです。

彼女は結婚して一児(長女ふさえ)をもうけました。夫は、いっこうに詩に理解を示さず、ついに彼女が詩を作ることさえ禁じたといいます。生きる支えを奪われた彼女は、自ら命を絶つことを選びました、26歳(1930年 3月10日)の時です。

 金子みすゝ" は、いわゆる「もの書き」としての地位や収入など、手に入れる余地なく、また、文壇というプロの居場所に登場して、彼女が夢見たであろう詩人の栄冠を身にまとう機会がないまま、日本海に面した小さな町でひっそりと短い生涯を閉じました。

死の前日に撮られた写真が遺されています。一見、穏やかに見えます。心を絶望感が占めているようには見えません。人間の心の中は、外見では、なかなか推し量ることが困難です。

遺稿となったのは 3冊の手帳。第1童謡集「美しい町」、第2童謡集「空のかあさま」、第3童謡集「さみしい王女」。

 

Cyclennon Point : 4(2)     131101    DAY   58       Heart  & Romanticism  By  CyclennonDream         

霜月になりました。大好きなカニスキの季節です。私は、毎年11月にカニスキツアーを行います。日本海が見える、豊岡市気比の浜の民宿へいつものメンバーで行きます。約30年間続けている、私にとっての秋の風物詩です。

いざ、日本海へ。大きな声で叫びましょう「カニさ~ん、ア・リ・ガ~ト~・・・・・」。

平成25年 8月 6日開院して 約 3ヶ月。まだまだ患者さまの数は少なく細々とメンタルクリニックをやっていますが、心は豊かです。

 

 

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